多生と多少

コトバは生き物です。

時代の流れに沿って、変わっていきます。

自分史を書くということは、長い文章を作成することです。
うまい文章やわかりやすい文章は、文才に恵まれた人だけの特権だと思っていませんか?
もちろん文才に恵まれた人は、うまい文章やわかりやすい文章を書くことができます。
でも、特に文才がなくたって、十分にうまい文章やわかりやすい文章を書くことはできるんです。
ここでは、そのちょっとしたコツを1つずつ紹介していきます。

ある時代では間違いだった表現も正しくなることがあります。

過渡期にあるコトバがいちばん扱いにくいですね。

多少と多生、どっちが正しいんでしょう?

袖振れ合うも多生の縁○
袖触れあうも多少の縁×

ちなみに多生とは仏教用語で、何度も生まれ変わることをいいます。
「往来をすれ違ったときに袖が触れあうというのも前世からの縁があったということですよ」という意味です。

多少の縁では「往来をすれ違ったときに袖が触れあうというのも、たまたまです」なんていうことになりかねません!

そのうちに×の意味に変わっていくかもしれませんが、今のところは○の意味です!

自分史を書くならわたし本の文研ビズ

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